4.「ガンダムシード−T−」


「ガンダムシード−T−」


21世紀の新世紀ガンダム、『ガンダムSEED』が遂に終了した。
20年以上、映像作品としてのガンダム、またそれ以外のガンダムに 触れ続けたが、今回のSEEDは見終わった後の感慨が少ない、もしくは皆無と言ってよかった。

なぜだろう?

今回、または飛び回になると思うが、数回に渡って、ガンダム SEEDとはどういう作品であったのか。何を意味していたのかを、SEEDと過去のガンダムを振り返りながら、考えてみたい。

※参考、もしくは論拠とするガンダムは全て映像作品のみとし、雑 誌・小説その他媒体は含めない。ただし、比較検討など参考として扱う場合にのみ、断りを入れて、参考にする場合がある。
※「フィルムを見ればわかります」これがガンダムの大前提。



−ガンダムとは−

いまやアニメ、ゲームの1分野として確立したガンダムは1979年 4月7日に放映が始まったアニメ番組である。
薬莢を落とす大型ロボット(モビルスーツ:以下MS)。2話でいき なり強敵が登場し、主人公と新型MSガンダムは手も足も出ない展開。
いままでと違ったそのロボットアニメは後に「リアルロボット」と呼 ばれるアニメに分類され、それまでのアニメ「スーパーロボット」とは一線を画していた。

「リアルロボット」と呼ばれるだけあって、よく考えられた設定に基 づいて話は進む。


・アニメのストーリーを簡単に追ってみよう。

「人類が宇宙に移民し始めて半世紀、地球から最も遠いコロニー群サ イド3が地球連邦政府に対し独立を宣言。連邦に対して独立戦争を仕掛けて来た。開戦からわずか1週間、人類の人口の半分が死んだ。

その戦争の最中、主人公のアムロ・レイは偶然連邦の新型MS”ガン ダム”に乗り込み、戦いに巻き込まれて行く、というのが序盤の基本ストーリー。
内向的なアムロが戦いの中で、仲間と敵を通して成長していき、戦う 事を選択し、ニュータイプとして覚醒していくと共に、戦局は終局へと進んでいく」

話の途中から「ニュータイプ」と言う言葉が出てくるが、これは”ガ ンダム”という作品において、無くてはならない1つのテーマである。

このガンダム(初代や1stと呼ばれる)の後も、Zガンダム、ZZ ガンダム、逆襲のシャア、F91、Vガンダムと、ガンダムの歴史は続く。
派生ながらOVAとしてガンダム、Zガンダム間を補完する形で 0080、0083という作品が出たが、ニュータイプの出てこない作品である。


ニュータイプとはなんだろう。
作品中語られるのはシャアとセイラの父であるジオン・ズム・ダイク ンが唱えた言葉で、
「人類の環境適応能力は、宇宙に生活の場を移した時、新たな進化を 遂げる。重力と言う枷を外された人類は認識力が拡大する。宇宙での環境に適応した人類、新たな認識力を備えた新人類、それがニュータイプである」
とある。

これは極めて仏教的な思想であり、重力と言う業から真に解き放たれ た人類、すなわち悟り得た人間とでも言うのだろうか。
ただ作品中に登場する人物は聖人君主ではなく、極めて生の人間であ り、ニュータイプとしての能力を持ちつつも苦悩する。

1stに登場するニュータイプの1人シャリア・ブルは言う、
「わかりすぎるということが、決して幸せだなんて思わないで欲し い」
彼の言葉はガンダムに登場しているニュータイプの存在と苦悩を現し ていよう。

そしてニュータイプとは何か、これをそれぞれのガンダムの中でテー マとして扱われて来た。
しかし、上記の1st〜Vまでのガンダムさらに付け加えるなら∀ガ ンダムの一連のガンダムとは別のガンダムでも、ニュータイプは登場、もしくはそれに類する者が登場する。



−オマージュとしてのガン ダム−

尊敬と憧れ、1stへの憧憬と言うべきだろうか。ガンダムを見た世 代の作ったガンダムが世に登場する。1979年から2003年ですでに24年。当然の事と言えば当然だが、それらのガンダムは上記の「宇宙世紀」の物語と は違う世界での物語である。
一種のパラレルワールドであり、舞台は「宇宙世紀」同様地球が主で あった。
そして残念ながら、宇宙世紀のガンダムとは違った歴史のガンダムを 作ろうとしたが、それらはすべて失敗に終わっている。
それは「ニュータイプ」の意味を作り手が捉えきれずにアニメ作品を 作った為に、作り手には何も伝わらなかった為だと言えよう。

最もわかりやすいのは「ガンダムX」であろう。これは「ニュータイ プ=エスパー」として扱ってしまったのだ。
1stでも「もしかしたらエスパーなのかもね」「環境適応能力に優 れた、ちょっとしたエスパーみたいなもの」など、「ニュータイプ=エスパー」的な発言が随所に見受けられるが、ニュータイプの素養のあるセイラさんが、 「ジオンの言ったニュータイプは、そんな便利なものじゃ、ないんですけどね」と言う。
彼女はジオンの忘れ形見である。

物語の根本である「ニュータイプ」と言う概念を理解しない上、ガン ダムと言う名に乗っかって作っただけの作品では、残念ながら視聴者には何も伝わらないのだ。
作り手が「自分達の映像作品によって何を伝えたい」のか、それが明 確にされていないのでは、視聴者に伝わらないのは至極当然なことであった。



−ガンダムSEEDと 1stガンダム−


ではSEEDはどうだろうか。1stガンダムを意識している部分は 多々見受けられる。
まず番組の冒頭、中立のコロニーがザフト軍に襲われ、主人公キラ・ ヤマトがガンダムに偶然乗り合わせるのは完全に1stの焼き直しである。
ガンダムの母艦となるアークエンジェルのシルエットは木馬と呼ばれ た1stのホワイトベースのリファインでしかない。

ザフト軍のラウル・クルーゼの仮面は1stのシャア・アズナブル。
1stのソロモン、コロニーレーザーそのもとと言っていい宇宙要塞 と強力なガンマ線兵器も出てくる。

人物に目を当てれば、1stでは赤い彗星ことシャアとその妹セイ ラ。キラとカガリの隠された兄妹関係に相関している。
ザビ家に復讐を誓うシャアと、人類そのものに復讐を志すクルーゼ。
故ジオンの忘れ形見シャアとセイラ。オーブの姫であったカガリ。

ストーリーで中盤の後半にかけて、アークエンジェルは連合を脱して 独自の道を歩み始めるが、これは小説版『機動戦士ガンダム』のストーリーにほぼ即している。

以上は、ごく簡単に見てみたガンダムシードの基本部分であるが、こ れだけでも如何に1stとの類似性を見いだせるか、おわかりいただけるであろう。
ココで言いたいのは、類似しているからと言って、オマージュとして それが悪い訳では無い。

ただ、それらを消化した上で、独自の作品として、言い換えれば何を 言いたいのか何を伝えたいのか、それが何も伝わって来ないのである。

それが問題なのだ。

それらしい上辺ッ面の物は見受けられる。
友人の彼女を寝取り、自分の身体を利用する女。
守ろうとして守れなかった自責との葛藤。
戦いの中で自分の友人戦友を殺されて互いに憎み合う主人公達。
敵を殺したく無いが戦いつつ、コクピットを狙いから外して戦う主人 公。

これらは私の目から見ると、どうも取ってつけたような、作り手が真 摯にそれを自身で信じているとは思えないのだ。
どうしてそう思うのか?

次回以降、ガンダムを2つの大きな柱、「人物:キャラクター」と 「ロボットアニメ」と言う2つのテーマに大きく絞って、ガンダムシードとは、如何なる物語であったのか?と言うことに迫ってみたい。



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