7.ガンダムシード−II−


「ガ ンダムシード−II− 人物&キャラクター編」


ガンダムシードの宇宙世紀(コズミックイラ)において、人類は遺伝子操作された人類「コーディネイター」と、それらを行わない生まれたままの人間「ナチュ ラル」との2種に別れていた。
コーディネイターは地球から宇宙に飛び出し、宇宙で地球のための資源を採掘、製造し、生活の場として宇宙コロニーを作り、そこで生活をしていた。

宇宙コロニーは、コーディネイターのみでなく、むろんナチュラルも生活の場として暮らしているのだが、コーディネイターは『プラント』と呼ばれるコロニー 共和体を形成し、地球と資源の交易を行っていた。

交易と言いつつも、地球とプラントには植民地支配的関係が、恒常的に存在していた。
ナチュラルは能力的劣等感を、支配するという歪んだ形で、かろうじて保てていた。
しかし、その抑圧された関係は、『血のバレンタイン』という最悪の形で、終焉を迎えた。
遺伝子的に優位なコーディネイターは、人類社会の各所で目覚ましい活躍をする。
それらに対して、ナチュラル、特にアンチコーディネイターとも言うべき『ブルーコスモス』が「蒼き正常」を合い言葉に地球上のコーディネイターを虐殺しは じめ、ついにプラント側のコロニーそのものを破壊、数百万単位での民間人を殺したのだ。

地球(連合)とプラントの関係は、最悪のものとなった。

核兵器を使用する地球側に対抗して、コーディネイターは地球に「ニュートロンジャマーキャンセラー」を撃ち込み、核を使ったあらゆる活動を使用不可能にし た。
そしてコーディネイターはMSを開発、実戦に投入。地球連合は戦艦と戦闘機(MAに分類されるらしい)で開戦されたが、数に勝る連合もMSの機動力の前 に、歯が立たず、という1stを踏襲した展開である。

そして中立コロニーである資源コロニー「へリオポリス」にて、連合側が密かに開発していたのが、連合のMSガンダムシリーズとその運用艦アークエンジェル だ。
しかしこれを事前に察知したプラント(プラント側の軍を『ザフト』と言う。以下ザフトに統一)は、精鋭クルーゼ隊をもってガンダム強奪作戦を行った。


これがTVシリーズが始まるまでのガンダムシードの世界の流れである。


そして1stを踏襲した偶然居合わせた主人公キラ・ヤマトがガンダムに乗り込みザフト軍と戦う事になる。同じ工業カレッジのキラの友人達も、同様に戦争に 巻き込まれていった。


※−人物欄−
※ナ=ナチュラル:コ=コーディネイター
※連合=連合側:ザフト=ザフト側:オ=オーブ
 アークエンジェル=アークエンジェル+オーブ+ラクス同盟

以下シードを論じるために代表的な人物を取り上げ、シードの世界をキャラクターを通じて見ていってみよう。



−悲運の主人公アスラン・ザラ(ザフト:アークエンジェル/コ)−

名目上、キラと並んで2人の主人公と言われているが、出番と言い、キャラの練り具合と言い、"準"主役が良いところ。
特に最初は、幼なじみであるキラと、戦場で再会するという、数奇な運命以外は、見るべき所がない。
要は、1stのアムロの役割である主人公の正統のキラがいるが、それだけでは2番煎じでしかないため、また美少年キャラを増やすため、という不必要な自己 嫌悪的理由と商業的理由のために作られたキャラであると言える。

彼に注目すべきは、彼の父、パトリック・ザラが、プラント連合最高評議会の議長、つまりプラントの首相の地位に就いた途端、穏健派でありアスランの婚約者 ラクス・クラインの父であるシーゲル・クラインを暗殺してからである。

彼は親友であるキラと戦う苦悩。今まで普遍であり自然と思ったラクスとの関係は瞬時に消滅し、逆にラクスをも追う立場になる苦悩。

苦悩は迷いを生み、彼は自分が「ナチュラルとコーディネイターの対立」と言う単純な構図の上で、コーディネイターのため、ザフトのためと言う安易に受け入 れて戦ってきた自分の考えが、正しいのか正しくないのか、戦いと憎しみの中、彼は答えを求めた。

戦争が激しさを増す中、彼の父はコーディネイターを導くべき指導者、と言う立場のなせる業なのか、クルーゼの煽動もあって、「ナチュラル殲滅すべし」とい う暴走を行う。
その父と息子という、自分の立場による苦悩は、最後までアスランの心に影を落とす。
苦悩の末、彼は自ら父と対立すべく、戦場の中を、父である最高評議会議長を求める。自分の手で決着をつけようと、彼は彼の答えを出したのだ。

しかしその結末は、父パトリックが名もない兵に、なんの脈絡もなく殺されて終わる、という全く救いのない形で終わる。

キラの妹であるカガリ・ユラ・アスハが、余り物となった為に、適当に恋人にされ最後にくっつくが、あまりのいい加減さに、最後まで悲運としか言いようのな い主人公?である。



−トール・ケーニヒ(連合:アークエンジェル/ナ)−

キラと同じ工業カレッジの同級生。キラ達と同様に戦闘に巻き込まれ、連合の新鋭艦アークエンジェルに乗り戦う事になる。
彼とサイ・アーガイルの2人は当初から、キラを信じてやまなかった親友である。
ただ、サイは彼の婚約者でヒロインの1人フレイ・アルスターが、キラに寝取られた形になったので、キラとサイの関係にはヒビが入る。
唯一、彼を最初から信じ切る事が出来た人物であり、この作品の中で、最も意味のある人物だ。

ヒロインの1人であるミリアリア・ハウと恋人であり、このカップルは作品中、唯一まっとうな人間関係であったと言えよう。

他の友人やアークエンジェルの人間には、キラを信じ切れて居ない部分が、大なり小なり存在したが、彼はキラが自分たちのために戦い、そして苦悩しているこ とを、極力理解しようとしていた人物であった。

そして、そのキラの思いに応えようと、戦闘機スカイグラスパーで出撃するが、アスランの乗るイージスガンダムに、敢え無く撃破、戦死した。

戦争物語でもあるため、多くの人物が死んでいくが、単にキラの苦悩を増すために果たして殺す必要があるのか?と疑問に思う死亡キャラクターも多々いるガン ダムシードだが、唯一死すべくして死んだ、一番の人間ではなかっただろうか。

戦闘機にて戦死、と言うシーンは1stのリュウ・ホセイの猿まねでは無いかと思いがちだが、リュウの死と、トールの死はそれぞれの物語において別個の意味 を持っており、シードの中では唯一シードのものとして消化された人物である。


※「殺す」と言う表現は、作品の中での死ではなく、作品の作り手、創造主が殺すと言う意味である。
戦争の中、何の脈絡もなく死ぬ、と言うことで戦争の無情さや儚さを表現する、と言うのならわかる。
しかし、キラを苦悩させた少女と言い、フレイと言い、サディスティックとしか思えない死がこの作品には多い。
フレイの場合はZガンダムを意識した作りでもあるが、あまりにパクリ然としているので、作り手の創造性と表現力の無さには脱帽するだけだ。



−サイ・アーガイル(連合:アークエンジェル/ナ)−

トール達と同じくキラの同級生である。
連合の新鋭艦アークエンジェル内にて、ナチュラルの中にあって唯一コーディネイターのキラを、当初から無二に信頼していた親友である。

トールと同じく、上辺と商売に媚びへつらうシード内にあっては、まっとうな人物なはずであったが、彼も設定の時点から呪われていたのだった。

彼は同じくアークエンジェルに乗り込む事となったフレイと、親同士で決めた許嫁同士であった。
しかし、フレイは彼女自身の歪んだ復讐のために、キラの苦悩を広げ、そこへ自ら身体を与えることによって、キラを殺しの道具としようとした。
そしてサイに対しては、彼女の父親が戦死したため婚約は、「なかったこと」にしてしまったのだ。

ここからサイは嫉妬心によって狂ってしまう。

キラと一時対立するなど、三角関係によるドラマを展開するのだが、ストーリーとしては、キラとの和解とさらなる友情を期待したい所だが、キラが自身の出生 と、フリーダムガンダムを得てから急展開するストーリーに置いておかれ、結局フレイの当て馬として不運なままに終わってしまった。



−畏れ多いヒロイン:フレイ・アルスター(連合/ナ)−

キラ達と同じ工業カレッジだが、1つ年下の美少女。父は連合の外務次官ジョージ・アルスターである。
典型的なナチュラルで、コーディネイターに対して偏見と嫌悪感を持ち、それを隠そうとはしない。ただし、キラに対しては友達という感覚で特に毛嫌いはない が、発言に気を使うこともない。
(ブルーコスモスは殺意を持ち、実際にコーディネイターを殺害する。そこまでではない、と言うこと)

彼女の役割は、ガンダムシードのセックスシンボルだ。OPでシルエットながら生巨乳を魅せつけたアークエンジェル艦長マリュー・ラミアス、通称魔乳艦長と 並んでの、2大セックスシンボルである。
ただ、彼女の場合はOPで魅せるだけのマリューとは違い、具体的に話の中で、セックスによってキラに近付き、彼を利用したのだ。

畏れ多いことに、これは小説版ガンダム(富野由悠喜著)のセイラ・マスのオマージュのように見える。
しかし、兄を止めるため、アムロに戦場で兄を倒してくれと頼むため、セイラはそうする意外にアムロに応えるものがなく、彼とベットを共にするが、フレイの 場合は違う。あくまで似て非なるもの、でしかない。

彼女は父を戦闘で失ってから、ただ復讐心にのみ固執し、コーディネイターを皆殺しにしたい、と願い、それをコーディネイターであるキラにさせようとする。
彼を理解したように、キラに思わせて近付いて、婚約者のサイとの縁を捨ててまで、キラを苦しみの中へ陥れようとする。

キラの苦しみを利用し、キラにコーディネイターを殺させるために、キラを理解するのだが、それはその想いが純粋であれば深い愛に変わるはずだ。それは物語 の最終局面に近付いて彼女は気がつくが、彼女は戦いの中で戦死してしまう。

そして、最も畏れ多い事に、キラが最後の敵ラウ・ル・クルーゼと戦うシーンで、死んだ彼女が、キラに語りかけるのだ!

そう!Zガンダムのあのラストシーンのように!!

彼女はララァに続く悲運のヒロインにしてニュータイプ(強化人間だが)フォウ・ムラサメになぞらえられたのだ!ただの情婦の分際で!

物語中、彼女がそういう他人とのわかりあえるような「ニュータイプ的シーン」は一切出てこなかったにもかかわらず!
ただのガンダムオタクの作ったアニメで、なんのヒネリも伏線も無い、ただのパクリ連発なのが、見ていてわかって辛い所である。



−マリュー・ラミアス(連合:アークエンジェル)
 ナタル・バジルール(連合)−

セックスシンボルのマリューに、お堅い軍人女ナタル。好対照の2人であるが、最初から最後まで、理解し合うことは無かった悲運の女性達だ。

マリューは当初アークエンジェルの副艦長であったが、ザフトの奇襲により連合軍人が多数戦死、艦長もその1人であったために、彼女が艦長の座に就く。
ナタルはマリューの片腕としてアークエンジェルの戦術指揮官となった。

ナタルは軍人の家系で、彼女自身戦術面では抜きんでた能力を持つのだが、彼女は極端な軍人至上主義の持ち主である。
偶然からアークエンジェルの捕虜になったザフトの歌姫ラクス・クラインを、クルーゼ隊への盾として、人質に利用したり、艦長のマリューを差し置いて勝手な 行動を取ることが目立つ。

軍の権限の範疇内ならまだしも、民間人を人質として戦争の道具に使う事は、外交問題に発展する問題であるにも関わらず、彼女の行為は越権にも程があろう。

艦長には人事権と軍人事における裁判権も有しているはずであり、それに照らして考えれば、マリューは即決軍事裁判で処刑、もしくは拘禁すべきであった。
だがナタルの優秀な戦術指揮能力と、アークエンジェルの台所事情、つまりは人材不足、そしてマリュー自身の優柔不断さによって、何も出来ずにそれらを見過 ごす。

そしてそれが、物語の最後、マリューは恋人ムーラ・フラガを失い、ナタルはマリューの手によって殺される遠因でもある。

マリューは連合のやり方に疑問を呈し、中立国でありガンダムの制作国であるオーブ、そしてコーディネイターのラクス派と手を組み、邪な戦争の基を絶とうと 連合とオーブ双方と義戦を行ったマリュー・ラミアス。それだけの決断を行いながら、アークエンジェル1艦のシコリを解けなかったのは、彼女の業と言うだけ でなく、作り手の業でもあろう。



−ラウ・ル・クルーゼ(ザフト/コ)−
 ムウ・ラ・フラガ(連合:アークエンジェル/ナ)−

彼ら2人はファミリーネームで何故か呼ばれる事がほとんどなので、ここでもそれに習う。
ザフトと連合のエースパイロット、彼ら2人の共通項はそれだけではない。
富豪であったムウラの父のクローンであり、2人は擬似親子であり兄弟とも言えよう。
そして2人はお互い、感じ会うことが出来るのだ。ニュータイプ同士が感応しあうように。

え?クローンがなんで?クローンなだけでしょ?双子がたまに同じ事を感じるとか??
疑問は尽きないが、ニュータイプという概念が存在しないシードにおいては、そういうものらしい。

フラガはキラ達学生とは違って軍人である。サイコミュ搭載のMAを駆る連合のエースである彼は、キラと共にアークエンジェルを守るために戦う。彼の役所は 一見、1stのリュウのように、ヒヨッコのガキ共を一人前にさせるための先輩的役柄、に見えるが残念ながら彼はキラを中心とするドラマには入ってこない。
彼の役所はフラガの引き立て役であり、最後にマリューを守る見せ場を与えられて、その役を終えた。

その対立するザフトのエース、エリート部隊であるクルーゼ隊率いる彼は、その容姿から取れるように、1stのシャアになぞられている。

赤い彗星のシャア。本名はキャスバル・レム・ダイクン。ガンダム世界における始まりの人物であるジオン・ズム・ダイクンの忘れ形見である。
ザビ家に暗殺された父ダイクンの敵を討つために、彼は素性を隠し、ジオン軍にて機会を窺うが、連邦のニュータイプ、アムロ・レイと永遠のライバルともな る。
復讐劇を進める一方、彼はニュータイプの行く末を考え、自らその道を模索しようとした。

さて、シードの彼、クルーゼはどうだろう。
彼はこの世の全てに絶望していた。理由は自らの存在そのものであった。

永遠に生きたい、他の何者にも自らのあらゆるものを譲る気にならず、自分自身にのみそれを求めた、成金であるフラガの父。
その結果がクローンである。自分になら、と言う意味で彼は禁忌であったクローンを作らせるが、クルーゼ曰く「不完全」なために、自らの身体、生まれと作ら せたあらゆる者、彼は全ての人間を呪った。

そして人類そのものに対して、皆殺し、戦争を激化させ互いに滅ぼし合わせようと画策する。
それは父の復讐のために、キラを利用したフレイと何ら本質的に何も変わる所がない。
キラと戦う時に、御託を並べるのだが、その台詞もただ小学生が考えた程度のもので、何一つ誰一人共感を得ることは出来ないだろう。

主人公であるキラ、彼を取り巻くアークエンジェルのドラマ。そしてアスランとの戦場での再会と苦悩。
キラを受ける受け皿としては、これで精一杯だったようで、クルーゼを宿敵としてキラが交わる事もなく、狭い世界の話で終始してしまっている。
シードの世界自体は大きく風呂敷を広げてしまっているだけに、その小さい人間ドラマが、際だって矮小に見えてしまうのだ。



−アニメキャラ:アンドリュー・バルトフェルド(ザフト:アークエン ジェル/コ)−

ザフト地上軍のアフリカ方面指揮官で「砂漠の虎」を異名を取る。キラのよき宿敵となるはずであった。
彼の役所は1stのランバ・ラルである、はずであった。アニメにも関わらず中年のキャラで主人公のアムロと戦い、大人の男の生き様をアムロと視聴者に見せ つけた好漢だ。
アニメと言う架空の世界だが、彼を始めとして1stのキャラクターは見るものにリアルな存在感を示した。

アンドリュー、通称アンディと呼ばれる彼が、直接MS同士で戦場でキラと干戈を交える。
そしてキラに戦う理由と、戦うだけで戦争は終わるのか?と言う本質的な問いを投げかけ、戦争という憎しみの根本をキラに示そうとした。

当然、それは視聴者に対する問いかけでもあった。

「殺したくなかった!」と叫んだキラ。命を掛けたその問いは真摯に視聴者に伝わる・・・はずであった。
しかし、彼はやっちまった!!

アンディ搭乗のMSが撃破、爆発したにもかかわらず、彼は生きていたのだ!

やっちまったよ!せっかく彼の築いた言葉の重みが、瞬時に羽毛や空気より軽くなってしまったのだ。
実写映像では出来ない映像表現。宇宙空間、巨大ロボットなどなど、アニメならではの表現というものがある。
セルやデジタルで描く世界は、なんでも出来よう。1つの映像表現ではあるが、それを本物にする、そう思いこませるのは、映像技術と物語の重みである。
大きな嘘(ここで言うならMSや地球を飛ぶ巨大戦艦など)をつくために、リアルな設定と真剣な生き様、これが必要であり、1stの作り手はそのために真摯 に向き合っていたのだ。

しかし、シードは死者が生き返る、と言うアニメにしてしまったがために、ただの「アニメ」になってしまったのだ。
彼のために、そこに生きる人が、すべて嘘になってしまった罪は果てしなく重い。



−ムルタ・アズラエル
 オルガ・ザブナック
 クロト・ブエル−
 ジャニ・アンドラス(連合/ムルタ:ナチュラル 他?)−

糞味噌。

一言で言えばそうだ。彼らをして、何が言いたかったのか、不明だ。
ムルタは軍事産業連合理事を務め、ブルーコスモスの盟主でもある。コーディネイターの皆殺しを唱えるが、彼は唱えるだけでなく、ナタルが艦長を務めるアー クエンジェルの同型艦ドミニオンに乗り込む。

オブザーバーという形だが、普通軍艦に軍人以外が乗り込む場合、「○○待遇(例えば少尉待遇)」と軍の序列組織に組み込まれる。
理由は簡単。指揮系統が統一されていないと、いざ実戦の時に混乱し、自滅するからだ。
しかし、このムルタ、艦長たるナタルの言う事を聞かずに逆に命令する始末。彼の発言も意味を成さないものばかりで取り上げるに値しない。

しかしシードに出てくる軍人は皆らしくない。言葉などはそれらしく使っているが、艦長に対して銃を突きつけるなど、射殺しても良い場面でも何もせず、艦内 で最高責任者であり最高権力者の艦長の命よりオブザーバーの指示を優先するなど、極めていい加減だ。


さて彼の秘蔵っ子、キチガイ3人衆である。彼らは宇宙世紀ガンダムで言うところの「強化人間」であるらしい。
戦闘毎に、安定剤の様なものを投薬しないと駄目なようで、切れかかると彼らは苦しむ。
はっきり言って、彼らはただの麻薬常習者と同じで、台詞も狂ったものばかり。
シードの作り手は麻薬でもやってるのか?と思わせるほどの切れっぷりだ。

そこにZやZZなどに出てくる、強化人間としての苦悩と悲しさは、何も表されていない。




−主人公:キラ・ヤマト(連合:アークエンジェル/コ)−

中立コロニーへリオポリスの工業カレッジの学生であったキラ・ヤマトは、ザフトの強奪作戦に友人達と共に巻き込まれる。彼はコーディネイターと言う特性も あって、強奪を逃れた唯一の連合のガンダム、ストライクガンダムのパイロットになる。
不本意ながら、自らMSを操って戦う運命に陥るが、彼はその運命を呪った。
いきなり戦場で親友のアスランと再会し、そして彼は戦えない者を守らねばならないのだ。
小さな女の子の乗るシャトルを守れず、目の前で死んでいった苦しみ。彼は戦えるばかりに、守らねばならず、苦しまねばならなかったのだ。
一時、フレイの身体に溺れるが、直感的にフレイの想いが自分に無いと知ると、彼女と距離を置く。

戦い、殺し、殺される苦しみの中、彼は親友のトールを戦場で失う。
その悲しみのあまりに、彼は狂気の種を開花させる。
アンディ曰く「バーサーカー」と評するその狂気の花は、憎しみからただ敵を倒す、殺すのみであった。
人と人がよりわかりあえる、人の革新と言われるニュータイプ。それとは似ても似つかぬ変化、とても革新や進化とは言えない。

殺し、殺し、殺しまくった彼は、ようやく殺すだけでは戦争の終わりは見えないと悟り、今度は殺さない戦いを行った。
敵のコクピット以外を破壊し、MS「だけ」を破壊するのだ。

詳しくは「ロボットアニメ編」に記すので、ここでは多少触れる程度にしておくが、これはガンダムの目指しているものではない。物語、人間的にもロボットア ニメ的にも、だ。
多数の人間が殺し合う戦場で、MSの特定の部位のみを撃ち抜く、と言うことは不可能である。
しかもフリーダムガンダムで、数機、十数機同時に、となればただのスーパーロボットだ。

そしてその行為は、単に人を殺すのが嫌だ、と言う自己満足にしか過ぎない。

キラには何度か戦争をやめる機会はあった。アークエンジェルを降りる機会も、戦争そのものから逃げる機会も。
しかし、彼は自ら、戦場への道を選んだ。快楽殺人者、例のキチガイ3人衆ならば人を殺す事を喜んで行うだろうが、それ以外の何者も決して喜んで人など殺さ ないだろう。
だが、戦争という巨大なシステムは、それらの人にまで人を殺すことを要求する。
逆に言えば、そのシステムに組み込まれた以上、殺してしまう、しまわざるを得ない。

キラが殺さないなら、キラ以外の人間が殺し。キラが殺さなかった人は、キラ以外のキラの仲間を殺すだろう。
戦場で人を殺さないこと、これがイコール戦争をやめさせることには、決してならないのだ。

戦場で人を殺すことの是非、そして戦争の是非。それをシードは問いかけたかったのだろうが、作り手の持っている答えは、答え以前の物で納得し得る部分は、 何一つなかった。

結局シード(種)は何も花開かなかったのだ。




−歌姫:ラクス・クライン(ザフト:アークエンジェル/コ)−

おまけ。


−実は妹:カガリ・ユラ・アスハ(オーブ:アークエンジェル/コ)−

おまけ2。



◎シードの人たち−総論キャラクター編−

宇宙世紀のガンダムがひとまず終わりを見せた後も、ガンダムの物語は続いた。
それは1st世代の宇宙世紀を大きく隔てた世紀であったり、まったく別の地球、いわばパラレルワールドとも言うべきガンダムが産み出された。
機動武闘伝Gガンダム、新機動戦記ガンダムW、そして機動新戦記ガンダムX。

GとWは商業的理由のみで作られたガンダムだろう。Gは開き直って、良い意味でガンダムという名を利用して作っている。1つのアニメ作品と割り切ってしま うが良いだろう。
Wは当時隆盛であった同人人気、ヤオイ(本来の意味とは違うが)、ショタコン人気にあやかって作られたガンダムだ。

両作は1st、シードとは内容的にも隔たり、むしろ関係ないだろうが、Xは別である。
この作品は1stのリメイク、リスペクト作品である。
この作品は、結局ニュータイプ=エスパーと言う公式を打ち立ててしまったために、ニュータイプという存在を通して、または示して、人はどうあるべきか?と 言うガンダムのニュータイプ理論から大きく離れてしまった、正統ガンダムになれなかった作品だ。

シードも同じく、1stとは違う世界での物語だが、正統ガンダムとして出発したが、結局ニュータイプやそれに変わる新しい概念を何ら提示することもなく終 わってしまった。

商業的には成功したと言えるガンダムシードも、結局は商業のみを優先したための失敗だったのか?
1stも商業的理由に様々な拘束、制約を受け、それが作品にも影響しているが、作り手が伝えたかった根本は変わっていない。
つまり、作品があって商品がある。もしくは商品である、と言える。
シードにおいては、商品性のみが優先され、キャラクターにもそれ「らしさ」で個性をつけて、流行のみで取り繕った物語であるために、一貫した伝える(わ る)、ものがないのだ。

個々のファクターにはそれなりのものが揃っているが、結局シードの世界の広がりの大きさに追いつかず、また作り手もそれをまとめきれるだけの力量が備わっ ていなかった。

せっかくリアルな人物像を目指していたにも関わらず、それを活かし、まとめきれなかったのは、やはり登場人物と作り手側の業の深さだろうか。



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