16.水滸伝・大衆小説と歴史の世界



『水滸伝』中国は明代の4大奇書として『三国志演義』『西遊記』『金瓶梅』と並んで、庶民に親しまれた大衆小説である。
『水滸伝』の世界は、宋の末期徽宗皇帝の御代、天下に誇る水塞梁山泊に、各地から豪傑が1人、2人と集まって、108人が集結。元は無頼の盗賊であった が、それらが宋の国のために、反乱軍や外国の金国と戦う、そういうストーリーである。

PSOのキャラクターで武松と言うキャラクターを創って、遊んでいるが、三国志や日本の戦国時代のキャラクターのネームバリューに比べ、一般への浸透率は 低いようなのでかなり簡単にだが、今回水滸伝の世界と、その中の武松というキャラクターにスポットを当てて紹介しようと思う。



○水滸伝の成り立 ち

水滸伝、と言う本の原本が残っているのは明の嘉靖年間(1522〜1566)の物が現在確認できる最古の物なので、これを成立年としていいだろう。
作者は、施耐庵と言う人物だが、実在も疑わしい人物だ。施耐庵生家の村などもあるらしいが、これは観光客目当てのでっち上げと見られている。

水滸伝と言うのは、元々講壇や戯曲などの作中で活躍した豪傑、地方に語り継がれている豪傑、そういう話が徐々に集まり、『大宋宣和遺事』と『宋江三十六 賛』を核として、108人の豪傑が梁山泊に集う、1つの物語として書物と成ったものである。
作者として冠される「施耐庵」も、水滸伝を出版した時に、一種の便宜的に付けられた性格のもので、1人の作者とは考えられていない。

水滸伝が、大衆の話から寄せ集まって、1つに固まった物語という性格がわかって頂けたと思うが、その性格をより表すものとして、「水滸伝は1つでない」と いうややこしい話を少し述べておく。

当時は著作権などないので、出版元が好きに水滸伝を印刷して売っていた。挿絵入りだとか、首都で流行の水滸伝だとか、注釈付とか各種あるが、それらを考慮 の外においても、水滸伝は大きく3種ある。


それは、100回本、70回本、120回本である。
1回が、講壇や戯曲で行われる1回分だと思ってよい。3種成立順にあげたが、それぞれ大きく違う。
水滸伝の大まかなストーリーと共に、それぞれ何が違うか見てみよう。



○水滸伝の始まり

時は大宋国仁宗皇帝の時代。天下には疫病が蔓延し、軍民が苦しむ様を救おうと、朝廷では嗣漢天師の張真人を詔勅で持って招聘して、疫病を鎮める祈祷をして 貰おう、と決まった。
その詔勅を届けに、勅使として選ばれたのが大尉の洪信であった。
首都開封から遠く長江を越えて、信州竜虎山へと赴いた洪信は、虎や大蛇に遭うは、黄牛に乗った童子が実は張天師であったり、苦労して役目を果たしたが、麓 の上清宮に閉じこめられてる魔王の封印を解いて、世に放ってしまった。

すなわち、天罡星36、地煞星72、併せて108の魔が世に放たれたのだった。

時は流れて、仁宗、神宗、哲宗の御代が過ぎ徽宗皇帝にまで到る。
その当時、もとはゴロツキで、蹴鞠が得意でたらい回しにされた結果がもっけの幸い、あれよあれよと皇太子のお気に入りになり、皇太子が即位して徽宗皇帝と なると、殿師府大尉(近衛長官)とまでなった男・・・。

その男こそ高俅、水滸伝で梁山泊の仇となる男だった。

この高俅の着任式、1人の八十万禁軍師範が病気で欠席する。そのことに腹を立てた高俅は、無理矢理にその男、王進を出席させた。
王進が形通り、自分の不明と病で欠席した旨を弁解して、顔をあげて高俅の顔を見た途端、王進の顔色が変わった。

高俅はその昔、ゴロツキ時代に王進の父親にしこたま打ち据えられたことがあるのだ。そのゴロツキが今や八十万禁軍師範の自分の上官となったとは!これを不 吉と言わないでなんと言おう。
すぐさま、王進はただ1人の家族である母親と共に、東京を逃げ延びた。

その王進が、逃げる途中史家村の史太公の世話になり、その息子である史進に棒術を仕込んで立ち去る。


こうして、水滸伝の物語が始まる。洪信や王進は導入役で、本来の話には関係がない。この史進こそが天微星の宿命を背負い、九紋竜のあだ名を持つ、梁山泊 108星の1人であった。

この史進を始めとして、好漢から好漢へと話は繋がり、ついには梁山泊に108人の宿星を持った好漢が勢揃いするのだ。
ここまでが70回本の話。

この梁山泊のメンバーが勢揃いして、遼国を討伐、方臘の反乱を平定するのが100回本。これが最初で、次が先に書いた70回本が作られる。

そして遼国との戦いと、方臘制圧の間に、田虎討伐・王慶討伐が挿入されたのが120回本である。


始め100回本が作られたが、後に70回本が作られた理由は、中国の政治的理由が多分にあった。しかし、水滸伝の面白い、そしてその文章が秀逸なのは70 回までなのだ。
各地の豪傑、好漢、無頼漢が官憲を相手に暴れ、人々がその大暴れっぷりに胸をすっきりさせるのだが、108人も揃うと個人が集団に埋もれてしまい、何がな にやらわからなくなってくる。
しかも、71回以降の文体は、読んでいて非常に面白くない。始めあんなにワクワクして読んでいた水滸伝が、なぜ勢揃いしたのに面白くないのだろう?みんな 揃ってからが、本番じゃないのか?と自分でも不思議に思うぐらい、文章がつまらない。
これをもって、少なくとも70回までとそれ以降の作者は違うのだ、と言われる理由の1つになる。面白い所だけを読もう、もしくは売ろうという事から70回 本が作られ、また人気となり長らく中国人に愛された。

120回本で挿入された、田虎・王慶の話は、単に全員揃った梁山泊軍に大活躍の場を、なんて理由で挿入されたものだ。

現在日本で刊行されている訳本は、ほとんどこの120回が元である。



○宋と明の末期

水滸伝が成立し、普及していくのが明王朝も衰微して、世の中が荒れていく時代である。同様に、水滸伝の世界も宋の晩年である。
世の中が荒んでいくが、その中で豪傑が、世の上や下の悪党を、情け容赦なくぶった切る!水滸伝を読んだ人々は、自分たちの世の中と重ね合わせて、梁山泊の 好漢に惜しみなく拍手喝采を送る。梁山泊が広く人気を博した理由は、こういった面も少なからずあった。

だが、水滸伝は架空の話。実際はどうだったのか。田虎、王慶と言った反乱は全くの架空だが、遼と方臘の話は実際にあった。無論、戦ったのは梁山泊軍ではな く、宋の正規軍である。

水滸伝では、遼と戦った後に方臘と戦うが、実際は逆で方臘を討伐した後に遼遠征に向かう。
方臘は中国は長江より南、浙江省で大規模な反乱を起こす。宋の末期では、首都開封府(東京)は非常な好景気だが、地方や農村から搾り取ったから で、それ以外の地方や農村は非常に苦しい思いをしていた。
方臘は地方の有力豪農であったが、それ故地方の役人どもから、目を付けられ賄賂を日に影に要求され、渡さないと嫌がらせを受け、屈辱を数多く受けていたの が、反乱の理由であった。
そして、これが方臘1人でなく、非常に多くの人々が同様であったから、6州52県を巻き込んだ大規模な反乱となり、宋の屋台骨を揺るがした。

当時、宋は遼の北に新興した金国と共同で、遼国を挟撃する計画が進行していた。
15万、20万という大軍で準備していたが、その準備中、方臘の反乱の報が朝廷に飛び込んでくる。これに驚いた宋の朝廷は、この遼遠征に使うはずの軍勢 を、南の方臘へ 向けた。補給と訓練が万全の正規軍と農民の反乱軍である。宋軍の勝利の結果は当然であった。

だが、この軍勢はすぐに北方の遼へと向かわされる。方臘との戦いの疲労に加え、先の戦いの後で補給も整っていない宋軍は、遼軍相手に苦戦する。結果敗退し て遼 から逃げ帰るのだが、これを見た金国は、宋がかなり弱いと見て取って、遼を滅ぼした後、宋に攻め入り首都を攻め落とし、事実上宋は滅んでしまうのである。



○残酷物語〜史実と虚構 の狭間

水滸伝は『三国志』(演義も正史も)や『史記』の歴史物語に見られる国の存亡をかけての、英雄豪傑の物語とは違って、『封神演義』や『西遊記』のように、 若干の歴史を核としながらも、そのメインは架空の物語である。

一応説明しておくと、宋の末期に官軍に「宋江」と言う将軍が居た。そして山東の盗賊一味に「宋江」と言う棟梁が居た。
現代の宮崎市定氏の研究などで、同時に別々の「宋江」が存在したと、判別できたのだが、昔の人はそれらの史料を読む時に、「宋江」を1人だと勘違いした。

時系列を丁寧に追えば、判ったのだろうが、勘違いというよりむしろ思いこみに近いのかもしれない。
一介の盗賊が、官軍に登用されて遼との戦争に活躍するのだ。これは面白い、もしくは、この方が面白いとなった。史実を元、というよりはきっかけに物語が膨 らみ、様々なネタが集まって、物語が出来たのだ。


大衆受けが良い、と言う意味で、民衆の都合のよい、もしくは望んだ物語として水滸伝が成立していくのだが、史上屈指の面白さと評価されながらも、その中に は残酷にして残虐、スプラッターが満載である。

何しろ、梁山泊のメンバーは、元軍人やら政府の人間も居るが、やくざ者や武芸者、盗人やらと、素性のよろしくない連中がわんさと集まっている。そして、や むを得ず人を殺し、流浪の身になって梁山泊に流れ着くものも居れば、根っからの暴虐性で、やたらめったら人を殺す者も居る。

その殺し方も、一様でなく、『三国志』のように武将同士の一騎打ちでの生き死にや、戦争で死ぬとかでなく、殺し方も無惨と目を覆いたくなることが多い。


やむを得ず、と言う場合の例として、魯智深の話を、やたらめったらは李逵の話をしてみよう。


・屈指の人気者魯 智深

天孤星花和尚魯智深。智深は出家後の法名で、元の名を達、魯達と言った。
延安府の提轄(部隊長)であったが、ある時上述の史進に呼び止められた。九紋竜史進は、あの後父の跡を継いでいたが、ふとしたきっかけで少華山の山賊と好 を通じるようになった。しかしこれが役所にばれて、自ら屋敷に火を放って逃げ延びる羽目に陥っていた。

史進は師父王進が延安の経略府にいると聞いて、それを頼ろうと渭州にまでやってきて、1軒の茶店へと腰を下ろした。
そこで茶店の主人に、「王教頭はここにおいでだろうか」と聞いてみると、ありふれた姓なので、どの王やら、とそこへ巨漢がズカズカと茶店に入ってきたのだ が、主人は「あの方が提轄ですから聞いてみた方がよろしいでしょう」と、魯達を呼び止めた所であった。

お互い丁寧に挨拶をしてみると、青年が九紋竜の史進と知った魯達は、これを気に入って別の店で飲もうと誘う。残念なことに、王進はこの地にはおらず、この 渭州を納める小种相公の父种老相公の元にいるらしい、と消息を聞いた。
町中を店へと案内する2人の前に人だかりがあったので、史進が「兄貴、覗いてみましょう」と、ヒョイとみるとそこには史進の見知った顔が。

棒術を見せ物に薬を売っていた男こそ、史進の初めての棒術の師である打虎将の李忠。実は彼も地僻星の宿命を持つが、これはまた後の話。
魯達は、これも一緒に連れて行こうと、群がる客を払いのけて無理矢理引っ張っていった。これには李忠も困り顔だが、顔には出さず強面の魯達に従う。

魯達が2人を案内したのは、立派で結構なお店。とりあえず酒を「4角(20合)もってこい」と、給仕に言い渡すと、給仕が他に聞いてくるのを「うるせえ、 とっとと持ってこい!」とどやす始末。
熱燗がすぐにやってくると、料理も卓いっぱいに並び、棒術やら世間話やら渡るを肴にして話に花が咲く。

3人が酒の席を楽しんでいると、隣の部屋から、しくしくとすすり泣く声が聞こえてきた。
魯達はこういう性格だから、店の者に「俺がどういう奴か知ってるクセに、どういうことだ!」と怒りだす。
店主に聞くと、
「私どもが提轄様のお楽しみを、どうしてお邪魔しましょうか。
 流れの父娘の唄歌いがおりまして、旦那方がお隣に居るとは知らずのことでしょう」
とのこと。

「そいつはどういう次第だ」

と隣の親子を呼びつけると、年の頃は18、9、きらめく美人ではないが、なかなか男の目を引き寄せる女と、その後ろに5、60の父親がやってきた。
事情を聞くと、姓は金、娘の名は翠蓮と言って、元は東京の住人だった。
親戚を頼って、この渭州までやってきたが、その親戚は南京へ引っ越してしまっていた。母は旅の途中で病で亡くなり、父子二人でさすらっていたところ、この 土地の金持ち、鎮関西の鄭大旦那に翠蓮が目をつけられ、妾になれと無理強いされてしまう。3千貫の証文と引き替えに、翠蓮を引き取っていったが、一文のお 金も貰えずじまい。
しかも、その奥方が翠蓮を家から追い出した挙げ句、空証文の3千貫を返せ、と迫ってくる。父親は気が弱く、ましてや金持ちと争うことなどかなわず、もらっ て いない金を、唄を歌って返している次第。だが、ここ数日客も無く、取り立てに来られたらいったいどうしよう、と途方に暮れて思わず泣いてしまったのだっ た。

「で、その鄭大旦那ってのは、どこのどいつだ」

と聞いてみるとそいつは豚肉屋の鄭の事である。「うちの种の若さまの引き立てで、肉屋やってやがる分限で」と、魯達は史進と李忠の2人に頼んで、自分のと あわせて2人にお金を分けてやって、

「ちょっと鄭の奴を、撃ち殺してくる」

と出て行こうとする次第。が、ここは史進に引き留められて明日にした。

翌朝、魯達は翠蓮親子の宿に迎えに行くと、2人を宿から逃がそうとする。鄭の旦那から言いつかってる宿の連中は、それは出来ないと言って聞かないから、平 手で思いっきりひっぱたく。ひっぱたかれた若い衆は、口から血を吐くが、怒りの収まらない魯達は、拳骨を握りしめて顔面をぶん殴る。今度は前歯が何本かへ し折れ、あまりのことに店の奥に逃げ込んだ。
こうなると、主人や他の連中は出て来ようともしない。2人を無事逃がすと魯達はその足で、鄭の肉屋へと向かった。

「おい、肉屋」

と声をかけると、鄭が自ら「これは提轄さま」とやってきた。
「経略使种公の使いで、肉を10斤、赤身を細切れでくれ。ただし脂身が少しでも混ざっちゃいかん」
それを鄭が店の者に命じようとすると、「あんな頼りないのに任せるな。おまえがやれ」と、注文をつける。使いの用向きが用向きなだけに、「ごもっとも」と 鄭が自ら肉包丁をふるった。
1時間ほどして、ようやく切り終わると、今度は
「次は脂身を10斤、これも細切れでくれ。少しも赤身が混じってはならん」
と言う。相公直々の言いつけとあっては、とまた鄭は自身で包丁を握る。
これが終わったころ、もう昼はとうに過ぎてしまっている時刻。
「もう10斤細切れにしてくれ。今度は軟骨の小さいとこだ」
などというから、鄭も思わず笑いながら

「私をからかっておいでで」

と、それを聞くや否や、魯達はぱっと立ち上がり「ああ、そうさ」と、2つの包みを投げつけた。
鄭の方は、カッと怒気が上って、骨切り包丁を手に飛び出すと、魯達は往来で待ちかまえる。右に包丁を持って、左手で魯達をつかみにかかるが、左手を押さえ ると下腹を蹴り上げて、往来に蹴倒した。
ぐいと胸ぐらを踏んづけて
「肉屋の豚殺しの分際で、よくも金翠蓮をおどしやがったな!」
と、吐き捨てると拳骨を握りしめて、思いっきりぶん殴る。馬鹿デカい拳で顔を殴られた鄭は、鼻っ柱をへし折られて、

”まるで味噌や醤油屋の店開き。しょっぱいのや、酸っぱいのや、辛いのやが、どっと一度に溢れ出た”

それでもまだ「よくも殴りやがったな」と叫く始末。魯達はそれを聞いて「まだ言いやがるか」と、顔面をもう一発。

”まなじりが切れて目の黒玉が飛び出し、こんどはまた呉服屋の店開きのよう。
 赤いのや、黒いのや、桃色のやが、どろどろ溢れ出す”

道の両脇には野次馬が人だかりを作るが、誰も魯達を恐れて止めるものはない。ついに鄭は魯達に許しを求めた。
だが、魯達は許さない。さらに拳骨を一発。

”施餓鬼のの大法要が行われたかのように、磬だの、鈸だの、鐃だのが一斉に鳴り響く”

今度は鄭も文句は言わない。いや、それどころか息すらしていなかった。その鄭の様を見た魯達はさすがに顔が青くなる。
(まさか本当に死んじまうとは。拳骨3発でぶち殺してしまった)

「こいつ、死んだフリなんてしやがって。今度会ったらただじゃすまねえ」
と、白々しい捨て台詞を残して、魯達は逃げ去った。

こうして魯達は渭州で提轄から、逃亡者に変わり、追っ手を逃れるために僧籍に入って頭も丸めて、号を智深として魯智深と名乗ることになった。

だが、これはまたのお話。



・殺戮者・黒旋風 李逵

天殺星黒旋風李逵。別のあだ名に鉄牛がある。赤髪で赤髭、赤い眼の強面顔。人にへつらう事が嫌いで、剛直だが、喧嘩っ早く根っからの人殺し好き。2丁斧を 振り回しては殺しまくる。

さて、李逵の場合は魯智深のように、1つ1つを丁寧に語っていると、優に文庫本1冊ぐらいになってしまう。何しろ、登場した時から、人を殴り殺したから母 を置いて村から逃げ出し、そこを江州の労役人戴宗(天速星・あだ名を神行太保)のもとで小役人を務めていたのだった。

そこに天下に名高い義士、及時雨宋江(天魁星。別のあだ名を呼保義)が罪を得て江州の牢に流されて来た所、彼と交わりを結び、博打代をも貸して貰った。だ が、博打で負けて一文も無くなっ てしまうと、貸してくれた宋江に申し訳がない、と賭場で大暴れして金を奪う。しかし、結局宋江にばれて、取りなしてもらう。

その流れで料亭で飲み食いするが、活きの良い魚を求めて港で漁師相手に大喧嘩。漁師の親分張順に川に落とされ水をしこたま飲まされて、そこを宋江にまた取 りなしてもらう、という始末。

後に梁山泊入りした後、宋江や公孫勝(天間星。道号を一清)らが、家族を迎えたのを見て、自分も母親を山に迎えると1人旅立つ。

迎えに行く途中で、事もあろうに李逵に追いはぎをする馬鹿がいた。
「てめえはどこのどいつだ」
と聞いてみると、なんと「黒旋風さまよ」との返事。
「糞面白くもねえ」とぶん殴って引きずり倒し、「お前、俺の名前を知らないのか。俺が黒旋風の李逵さまよ」と、さすがに相手は度肝を抜かれる。
事が事なので、斧を一発さっくり殺してやろうとすると、相手は必死に命乞い。

「自分には齢90の老いた母親がおりまして、それを食わせるために、仕方なく追いはぎを」
などと言う次第。さて、人を殺すのに躊躇いも何も無い男だが、老いた母のためと言われては、さすがの李逵も斧を振り下ろすのに躊躇われた。何せ、自分も今 から老母を迎えに行く途中なのだから、これは縁起が悪いかもしれん、と命を許してやる。そればかりか、母親のために幾ばくかの銀子も与えてやるのは李逵に しては奇跡の所行だ。

が、逃がしてやった李鬼(字だけ違う)が、家に帰ると、女房が飯を炊いてる相手は、またもや李逵!
李鬼の女房が、それじゃあしびれ薬飲ませて片づけてしまおう、なんて言うのを、しっかり聞いていた黒旋風。
「金までやって命を助けてやったのに、俺を殺そうとしやがる。しかもさっきのは嘘か!!」
と、李鬼の髪をむんずと掴んで、首をちょん切る。女房は、と探すとどこにも居ない。まぁいい、と自分の渡した金やら懐にまた戻すと、自分が腹が減ってたこ とに気がついた。
飯はあるが、さておかずが無い。どうしよう、と見ると李鬼の死体。
「へへ、こいつは良い肉があるじゃねえかい」
と太ももの肉をそぎ落として、火にあぶって飯を平らげた。満腹になると小屋に火を付けて一切合切焼いてしまう。

梁山泊が祝家荘に攻め入った時は、降伏した扈家荘を祝家荘を滅ぼした余勢をかって一門一族皆殺し。

朱仝(天満星・あだ名を美髯公)を梁山泊に引き入れる時には、朱仝が滄州の知府にひいきにされ、その愛息子が朱仝を
「髭のおじちゃん」
と慕っていたのを、朱仝を帰れなくするために、町はずれの林の中で、頭を真っ二つに割って殺している。まだ4つの小児であった。

また梁山泊に親しい小旋風こと柴進の叔父が、殷天錫に殴り殺され、屋敷を乗っ取られそうになったとき、殷天錫の横暴ぶりに腹が立って殴り殺した。

梁山泊の公孫勝が、師匠羅真人の元へ修行へ行っていたのを連れ戻すために、戴宗と2人で連れ戻しに行くが、師匠の羅真人が「よし」となかなか言わないの で、「面倒だ」と夜中に殴り殺してしまう。だが実は羅真人は死んでおらず、逆に道術で李逵は懲らしめられてしまった。


これで53回まで。だいたい半分ぐらいだろうか。それで、この暴れっぷりだ。ともかく李逵と言う奴は、面倒なら殺した方が早い、って考えの持ち主と言って 過言ではないだろう。
他の梁山泊の好漢も、皆大なり小なりの殺人を起こすが、先の魯智深と同じように、李逵とはどうも性質というか性格というかが違う。

しかし、李逵は物語中も、宋江や戴宗などには可愛がられるし、何より水滸伝で人気があり、それだけ大衆に愛されているのも、また事実なのだ。昔の人と現代 人の感覚の違いなのか、それとも日本人と中国人の違いなのかはわからない。



○武十回

天傷星、あだ名を行者(後に修行僧の格好になる)と言い、身の丈8尺というから2mを越える大男だ。体格も顔つきも男が惚れるほどの見事な男っぷり。

武十回というのは、水滸伝の話の中で、武松が主人公のものが10回あるからそう呼ばれる。好漢豪傑が個人を主役として活躍するのが70回だから、その内の 10回である。この10回は、水滸伝の本筋とは関係なく、完全に独立した「武松物語」である。
逆に言うと、当時、水滸伝の成立過程において、武松の物語もしくはその元や核となる物語が、民間で非常に流布しており、人気があったからに他ならない。
その人気の定番の話を水滸伝に取り込んだ、そう解釈して差し支えないだろう。


◎行者武松

宋江が大官人(大金持ち。柴進は元々宋に帝位を譲った周朝の末裔)の小旋風柴進の元で、お世話になった時の話。

柴進に進められるまま、杯を重ねていた宋江だが、小用に席を中座した。下男に足下を照らされて廊下を進むが、宋江もかなり酔っており足下も定まらない。
ちょうど、その廊下に大男が火鉢で暖を取っていた。その火鉢にうっかり宋江が千鳥足でつまずき、火鉢の火が大男の顔に、ぱっとかかる。途端、大男は宋江 の胸ぐらを掴んだ。
下男が押しとどめるが、大男は聞かない。そこへ柴進がやってきて、騒ぎの次第を聞きつけた。

「大男さん、このえらい押司さんを知らないのか」
「えらいっても、宋押司どのほどじゃあるまい」

と武松が言うには、会ったことはないが及時雨宋公明と言えば、議を重んじて財を軽んじ、危うきを助けて苦しきを救う。天下に名だたる好漢だ、と。
柴進はこれはよしと、ネタをばらす。

「あんたが今胸ぐらを掴んでいる相手が、その宋押司どのだ」

と言われてしばらく呆然。これは夢でも見ているのかと。
「お見それをして、つい失礼をしました。平にお許しを」
と、ひざまずき恐れ入るのを、宋江も慌てて引き起こす。柴進はこの大男を
「清河県の姓は武、名を松。兄弟順を2番目。ここに来て、もう1年になりますか」
と宋江に紹介した。宋江は弟の宋清にも引き合わせて、4人で杯を交わした。

宋江はこの大丈夫がすっかり気に入って、日に日に武松の世話を焼いた。武松は元々清河県の刑事と酔って喧嘩をやらかして、一発ぶん殴ってしまったところ、 相手が目を回して気絶したのを、死んだと勘違いして、ここにお世話になっいる次第。
後で勘違いと聞き知った武松は、郷里のただ一人の兄を訪ねようと思っていると、あいにくオコリの病が来てしまい、出かけるに出かけられない始末。こうして 長々と柴進に世話の身になっていたが、宋江が火鉢の火の粉を武松にぶっかけた時、冷や汗がどっと出て、そのオコリも治まってしまったと言う。

宋江に大事にされたが、ふと故郷が恋しくなり、兄の消息も知らず、ここは清河県に帰ると言い出した。宋江、柴進の2人はこれを引き留めたが、武松は兄が気 にかかって仕方ない。
されば、と宋江は「そこまでお見送りを」と、ついぞついぞで日が傾いた。

宋江が武松に目をかけること一方でなく、武松は別れの茶店で、
「兄貴、俺をお見捨てでないのなら、どうか義兄弟の契りを受けてください」
と、宋江を兄として、四拝してお互いに義兄弟になった。名残は尽きないが、こうして、武松は故郷へと旅だったのである。


・景陽岡の虎退治

さて旅を続ける武松が、陽穀県に入って景陽岡の峠の手前、麓の酒屋にさしかかった。時刻はちょうど昼過ぎ。腹の塩梅も頃合いだ、とのれんをくぐった。
「親父、酒だ酒だ」
と、菜膳やら肉の煮付けを肴に、碗になみなみの酒をグイっと飲み干す。肉も2斤を平らげながら、酒をグイグイ、結果3杯を飲み干した。さらに酒を注がせよ うと親父に注文すると、「肉ならありやすが」と、酒を断る次第。
「はて、どいうことだ」
と、親父が看板を示すと、

”三杯不過岡”

とある。ウチの酒は強いから3杯も飲んだら峠を越せませんよ、って意味だ。それを見ても武松は、なんて事はない、
「だが親父、俺はこうして3杯飲んだが、この通りよ」
親父は「後からきますんでさあ」なんて言うが、武松は始めと変わらずケロッとしているので、さらに3杯武松に注いだ。あんまり武松がガブガブ飲むので、さ すがに止めるが、武松は聞かずに杯を重ねた。

しこたま飲み食いした武松が店を出て行こうとすると、またもや親父が引き留める。
「支払いは済ませたろうが。足りねえのか」
と、親父はそうじゃございません、と役所の立て札の写しを武松に言って聞かせた。
”近頃景陽岡で目の吊り上がった白額の虎が、2〜30人も喰い殺した。
 お上は近隣の猟師に期限付きで退治するようお達しを出すと同時に、
 峠を越える際には、時間を決め多人数で仲間を組んで行くとこと”

に相成った次第。しかし、酔って気持ちの良い武松は、それを聞いても鼻で「ふふん」と笑って聞き入れず、
「どうせ親父が自分の宿に客を寄せるのに、作ったんだろう。俺はこの景陽岡を何度も通ったが、今の今まで、んなことは聞いたことがねえ」
と、のしのしと店を出て、峠へと向かった。

しかし峠の入り口にやってくると、そこには官印の付いた告示が立ててある。
「あの親父の言ってることは本当だったのか」
と、一瞬酒屋へ帰ろうかとも思ったが、のこのこ引き返しては親父に笑われちまう。そうなったらこの武松の男がすたるってもんよ、とそのままずかずかと登っ てしまった。
しかし、登るうちに酔いがどんどん回ってきた。足下が定まらないので、辺りを見渡すと青く光る巨大な岩があったので、そこに五体を投げ出して、さて高いび き。と、眠り込もうとした、まさにその時、一陣の風がひょうっと武松を吹きすさんだ。

思わず背筋の寒さにヒョイと上半身を起こすと、雑木林の向こうから、ドバッと白額の虎が飛びだした。飛び出すや否や爪を地面に突き立てて、グッと屈むと武 松に向かって宙を舞う。
武松は驚き飛び退くと、虎をひらりとよけるが、同時に冷や汗と酔いが全部外に飛び出てしまった。

「この武松様、てめえが今まで喰った連中とは、ちょいと違うぜ」

虎の後ろに素早く回るが、虎は背後をとられまいと、後ろ足で蹴り上げる。さらに地面を蹴って、武松へと飛びかかるが、それをも武松は身を翻して、それすら も かわす。虎にしてみれば、今までこの3発の間にやっつけてきたが、それも通じず気勢を削がれてしまった。
武松はここぞとばかりに、荷物をくくりつけていた棍棒を、両手で力の限り振り回して、虎の額目がけて殴りつけた。

だが、その棍棒も焦ったためか、林の木の枝にあたって2つに砕けた。虎は武松目がけて前足の爪で前へ前へととっかかる。武松は後ろに飛び下がりながら、 10歩ばかり来たところで、思い切って虎の両耳をむんずと掴んだ。
そのまま力の限り下にぐいっと押さえ込むと、虎はもがくが武松の怪力の前に、どうしようもできない。
「おら!おら!」
と、眉間の辺りを思いのままに蹴りまくった。虎は吼えながら地面を引っ掻いてもがくが、ついに力なくグッタリしてしまう。武松は両手を放すと、今度は拳骨 で虎を、これでもかと殴りつけた。その拳骨はまるで鉄の塊で殴られたかのようで、武松も精魂尽きるまで6、70発も殴りつけると、虎は鮮血を吹き出して、 ついに死んだのである。

武松は、虎を引っ張って麓の村にでも行こうと思ったが、生憎と力を使い果たしてしまい、あきらめた。それよりも今、また他の虎にでも会ったら一生の終わり だと、麓へ急ぐことにする。
と、そこに2つの影が飛び出した。「こいつは俺も終わりか」と、薄暗がりの中を見れば、獣の皮をかぶった人間。それもどうやら近くの猟師だった。

この峠を武器も持たず、たった1人で峠を越えるのは、人か魔物か、と猟師は驚き、かつ呆れる。猟師が言うには
「このごろ景陽岡にでっかい虎がやってきて毎晩人を襲う。俺たち猟師仲間だった何人もやられたし、旅の衆なんて数える事も出来ない。
 知県さまは退治するよう命じられたが、何せ近づけもしないすごい虎だ。退治できないから、今まで罰も食らったが、どうしようもない。
 今日は俺たちの番だから仕方なしに、そこいらに毒矢の罠など仕掛けて、村の衆とこうやって待ち伏せしているところだ」
と。そして猟師は「ところでアンタ、何者で何でこんなとこにいるんだい」と聞いて来たので、武松は名乗りと生まれを告げて
「その人食い虎なら、今さっき俺が殴り殺して来たぜ」
と言うと2人の猟師は、嘘か誠かと武松の返り血で汚れた服やら、拳を見て、また武松の一部始終の話を聞いて、驚きかつ飛び上がって喜んだ。

猟師と手伝いの町衆とで町へ着くと、町の人がこぞって虎の死体と武松を出迎えた。虎を担いで、その後に武松は駕籠入れられて、土地の金持ちの所にまで連れ て行かれた。
金持ちや猟師が、こぞって武松の前に並ぶと、武松は今一度名乗りを告げ、自分が清河の生まれで、酔って峠で虎に出会ってしまったことも、包み隠さず正直に 事の始終を話した。
「これは大変な壮士だ」
と皆が驚くと、皆は武松にしきりに感謝する。武松は「自分の力でなく、みなさんの余福にあずかったまで」と謙遜。
翌朝、皆で武松を役所に送って行くと、知県は早くから待ち受けていた。知県は武松の風体を見て、この男なればこそか、と武松に一目を置く。
「まさに壮士だ。壮士よ、いったいどのように虎を撃ち取ったのか」
と、皆の前で、虎を殴り殺した様子を述べると、知県以下も皆舌を巻いた。
一千貫の賞金が運ばれると、武松は遠慮して
「私は知県さまの余福に預かって、たまたま、幸いにも虎を撃ち殺す事が出来ました。
 決して私の力でなく、褒美など頂ける筋合いではありません。
 聞けば猟師の衆は、きついお咎めも受けていたとか。
 この一千貫は、みなさまで分けて頂くのがよろしいと思います」
と、言ったので知県もその通りにしてやった。その上で、武松の志の見事なのを受けて、この陽穀県の都頭(隊長)に取り立てようとした。

武松の目指す清河県と、この陽穀県はさして遠くはない。ならば、と知県の取り立てに応じて、武松は陽穀県の歩兵都頭となった次第。

こうして2、3日過ぎたある日、町中をぶらりとしている武松に、背後から呼び止める声が聞こえた。
はたと振り返って見ると、「あ、どうしてこんなところに!?」と、武松が見たその相手とは。


・潘金蓮の段

ひょんなことから陽穀県の都頭になった武松だったが、その町中で不意に呼び止められる。その相手を見るや否や、その場に平服してしまう。
「1年あまりも兄さんに会わなかったが、どうしてこんなところに」
「お前が出て行って手紙もよこさず、ある時は怨んで、ある時は懐かしがったが、
 虎を退治して、今度町の都頭になった武って偉丈夫が、もしやお前かと思ったら、その通りだったよ」
と、相手は武松の兄、武大であった。男ぶりの見事な武松と違って、武大は身の丈5尺にも満たないブ男で、清河県でも馬鹿にされていた始末。
それが、どうしてこの穀陽県に、と武松は武大の家へ向かう途中で、話を聞いている。

それによると、清河県の金持ちの小間使いに潘金蓮という美人がいた。その金持ちは潘金連に手を出そうと言い寄った。だが、それを潘金蓮は拒んで、奥方に言 いつけてしまったために、腹を立てた金持ちが、恨みに思って町で一番のブ男の武大に嫁がせてしまったのだ。
思いもかけず、美人の降嫁に巡り会ったの武大だが、町の人間のやっかみやら、ゴロツキ連中が家の前に来て叫き散らすなど、気の小さい武大はとても住んでお れず、隣の陽穀県に越して、まんじゅう売りをやって暮らしている、との事だった。

長屋街の茶店の隣に2人が入って、武大が「おーい、帰ったぞ。やっぱり噂の武都頭は、武二郎(弟で次男なので二郎)だったよ」と、言って敷居をまたいだ。
そこに出て来たのが、潘金蓮。武松が見ると、これは大変な美人だ。妖艶な雰囲気が出ているが、潘金蓮は潘金蓮で、これがこの冴えないブ男の弟か、と武松を 惚れ惚れと眺めた。
潘金蓮は武大に言って、ごちそうを用意させる。気の弱い武大は上へ下へと言われるがまま、武松が「姉さんあっしが」なんて言うと「お客様がそんなことをな さらなくても」と言ってやらせない。

それもそのはず、この潘金蓮、根っからの男好きで、武大なんかでは満足するわけがなかった。その金蓮、この武松の男っぷりなら、あっちもすごいだろうと色 目を使っていたのだ。
だが男武松、それも意に介さず、兄嫁は兄嫁として振る舞う。しまいには武大に弟だから一緒に住ませよう、と一緒に住んで色仕掛けを行うが、さすがの武松も 潘金蓮の魂胆がわかったからには怒って怒鳴りつける。

結局武松は兄夫婦の住まいを出て、官舎に戻った。戻るとすぐに、知県が武松を呼びつけた。知県が武松に言うには、今度東京の親戚へ手紙や荷物を届けに行く とこになったが、この大事を任せられるのはお前しかいない、と。
知県に引き立てられた武松は、無論1にも2にもなく引き受けた。首都の東京まで往復で2ヶ月あまり、早くても4〜50日は切らない道程。出かける前に兄夫 婦に顔をだし、潘金連にくれぐれも兄をよろしくと、遠く東京まで出かけて行った。

相変わらず潘金連は、武大に対して、ぼけなすだのひょうたんだの、悪態のつき放題だったが、毎日武大が帰る前に、玄関の暖簾をしまうのが日課だった。
今日もさっさと済ませようと、暖簾をはずして、という時、するっと手がすべってたまたま通りかかった頭巾男の頭に、スコン!と当たって終った。

不意に頭を棒で叩かれた男は瞬時に癇癪玉を取り出した。と、振り向いてその相手を見れば、艶やかな色女。ぽいっと癇癪玉なんぞどこへやら。助平心でもって 2つの眼で女を見据えた。
「うっかり手を滑らせて、失礼をしました」
と丁寧にお辞儀で謝るのを、にこやかな笑顔で「いえ、なんでもござんせんよ」と、さわやかに返した。

そのやりとりを見ていたのが、隣の王婆さん。「ちょいと旦那」と男を呼び止める。その男こそ、役所前で薬屋や営む旦那の西門慶。これがまた素行の悪い札付 きで、この王婆さんに金を渡して、潘金蓮をモノにしようと企むのだった。



役目も終わって武松が帰って来て、兄夫婦の住まいに顔を出すと、武松は驚き字自らの目を疑った。そこには

”亡夫武大郎之位”

の7文字。これは一体どうなってやがる!?と「姉さん!」と思わず叫んだ。
その時潘金蓮は、2階で西門慶とお楽しみの最中。武松の突然の声に驚いた2人は、西門慶は裏口から王婆さんの家へ飛んで逃げる。潘金連は慌てて喪服に着替 えて髪飾りをはずしては、泣き明かしたかのような顔で下に降りて来た。
「姉さん、そう泣かないで。いったい兄さんはいつ亡くなったんですか?
 どういった病で。薬はどこのを飲んだのでしょう」
「兄さんは、あんたが出て10日ばかりして、突然胸を患って、薬もそこいらのを皆飲ませて看病したけれども、しばらく寝込んで、遂に亡くなったのです」
隣の王婆さんも、駆けつけて潘金蓮が尻尾を捕まれないように、あれやこれやとまくし立てた。
「あなたも居なかったし、残された私は独り身でしょ。墓もさがそうにもわからないし、棺を出して焼いてしまいましたの」
と、その日は武大の仏前に夜を明かした。あの兄さんがどうして、どうにもこうにも釈然と出来ない。

そうこうしてると、急に冷気が武松の肝を冷やす。虎殺しもこの冷気には驚いたのか、じっと仏壇を見ていると、なにやら人影が浮かび上がってくる。
武松の眼が見間違うはずもなく、その人影は兄の武大である。
「弟よ、俺は苦しんで死んだぞ」
と叫んだ。兄さんどういうことだい、と聞く前にその影はすっと消える。武松は朝まで思案に暮れた。

翌朝、武松は武大の棺を焼いた隠亡頭の何九叔の家に、朝一番で訪れた。
「これは都頭、いつお帰りで」
と起きたばかりの何九叔が出迎えると、これはただならぬ様子。ちょっとそこまでつきあってくれ、と近くの居酒屋へ何九叔を連れ出す。2人は座るが、武松は 何も話さない。武松は酒を何杯かやってるが、何九叔がなにやら話しかけても、黙ったまま。
突然、ドン!と机に短刀を突き立て、給仕はひっくり返って驚き、何九叔は青ざめて言葉もない。
「俺は頭がよくないが、恨みには仇があり、借金には貸し主があることぐらいは知ってる。
 相手を取り違えることはしないから、怖がる必要はない。ただ、本当の事を言って貰いたいのだ。
 兄の死因が何であったのか、それをありのままに教えてくれれば、あんたの身体に傷つけることは一切しない。
 しかし、一言半句でも違えた事を言うのなら、この刀でおまえさんの土手っ腹に風穴を3、400あける事になる。
 いや、そんな話はよしにして、まっすぐ教えてくれないか。兄さんの死体がどんなふうであったか」
言い終わると、武松は両手を両膝頭の上に握りしめて、両目で何九叔を睨み付けた。

何九叔は、袖から包みを一つ机の上に置いて
「まあ、都頭さん、落ち着いて下さい。これが何よりの証拠です」
と、差し出した。中には黒ずんだボロボロの骨が2つ、それに銀子が十両入っている。「どういう事だ」と聞くと、何九叔が「前後の事情は私にはわかりません が」と前 置きをした上で、武松に語った。
「王婆さんから、武松の兄の武大が亡くなったから棺に入れて欲しいと聞いて、約束の日に宅へ伺うと、西門慶の旦那が居酒屋に連れて行き、銀子十両を握らせ るんです。
 どうもこいつは、死体については万事穏便にってことか、と察しました。
 あの男は悪党と聞いてましたんで、私も無下に断ることも出来ませんでした。
 武大さんのお宅で、死体を見てみると、明らかに毒にやられたものでした。火葬すると聞いたので、あっしは証拠として骨を2つ、頂戴した次第です。
 黒ずんで脆くなっているのが、毒にやられた証拠です。貰った十両はそうして手を付けてませんし、他には一文ももらっちゃ居ませんよ」

「じゃあ、あの兄嫁と出来てる間夫はいったい誰なんだ」
と、何九叔に聞くと、さすがにそれは知らないが、なし売りの鄆哥が武大と一緒に茶店に踏み込んで一騒動あったとか。あの町の衆なら誰でも知ってるはずで す、と言う。
じゃあ、一緒に来てくれと、鄆哥の家に向かうと、ちょうどなし売りの商売も終わって帰って来たところだった。

鄆哥に聞いたところ、鄆哥が王婆のところで、西門慶と潘金蓮がよろしくやっている所を見つけたので、武大に告げ口したところ、今度2人で現場を押さえよう となった。
それで2人して王婆さんの店に行ったが、婆さんは奥へ入れまい入れまいと、2人を必死に止めて、金切り声で2人に叫びやがった。西門慶は向こうから扉を押 さえつけて入れまいとするが、急にあけると同時に体当たりで突き飛ばして、武大を思いっきり蹴飛ばす。武大がやられて鄆哥は驚いて逃げてしまったが、それ から6、7日すると武大が死んだと聞いたとのことだった。

「間夫は西門慶の糞野郎か!隣の婆もかんでやがったわけだ!」

武松はその足で役所へと訴えに行った。2人の証人と、証拠の品を合わせて出したが、あらかじめ西門慶が役人にも知県にも金をばらまいていたために、訴えは 却下されてしまう。
武松の怒りが、前にも増して天を突く勢い。日を定めて、武大の霊前に兄嫁の潘金蓮と、王婆さんに、近所の連中を一同に集めた。
武大の一件を知っている近所の連中は、これはただごとで済まないと、渋ったが武松の鬼気迫る迫力に、逃げようにも武松の部下が家の出入り口や中を固めて居 るために、どうしようもない。
潘金蓮と王婆の2人は、訴えが取り上げられなかったのを、西門慶の使いから聞いて知っていたので、さて、こいつどうする気だ、と見物人気取り。

集まった人々に酒を振る舞い、兄が何かと世話になりました、と部下にも給仕させた。武松の手前、食べず飲まずとはいかず、一同は無理矢理杯を重ねた。しば らく無口の武松が、急に口を開くと
「一同のみなさんで、一番字のうまい方はどなたです」
と、その人にこれからの事を、書き留めて貰うように頼み込んだ。その上で、
「私はは頭がよくないが、恨みには仇があり、借金には貸し主があることぐらいは知ってる。
 的を間違う真似はしないから、安心して頂きたい。ただ皆さんには証人になって頂きたいだけです」
と、両手で潘金蓮と王婆をむんずと掴むと、「さあ、兄さんが何故死んだか話して貰おうか」と、鬼神もたじろぐ形相で問いただす。
王婆は「私は何も知らないから、話しようがありませんよ」と、しらばっくれたが、潘金蓮の頬を短剣でピタピタ叩くと、恐怖にかられて一切合切しゃべってし まった。
「あんたが喋ってしまったら、もう誤魔化しようがないじゃないか!」と、王婆も洗いざらい吐いてしまった。
2人に爪印と署名をさせて、近所の人にも証人として署名させると、潘金蓮を引きずり出し、仏前で
「兄さん、見ててください。恨みは晴らします」
と嫌がる潘金蓮をひっくり返して仰向きにすると、両足で動けないように踏んづけて、短刀で胸をひと掻き。売女のあばらを両手でバリバリ引きはがし、五臓六 腑を引きずり出すと兄の霊前に掲げ、さらに首を切り落とした。

部下も近所の連中も、武松の行為に驚いたが、その形相とあまりの無惨さに声も出ない。王婆は次は私かと思って血の気が失せていた。
女の首をかけ布団で包んで一括りにすると、「今少しの辛抱を」と全員を2階にあげて待つように頼んだ。もっとも部下が見張っているので、逃げようもないの だが。

包みを片手に、西門慶の店に出かけると、西門慶は留守だという。番頭を店の横に呼び出し、「西門慶は今どこだ」と聞いたその顔は、鬼も裸足で逃げ出す形 相。死にたくないから有り体に答えると、行き先は料亭で他の金持ちと食事しているという。
そのまま料亭に行くと、西門慶は2階で金持ちの旦那相手に、唄い女2人を侍らせて食事の最中。

突如食事中の西門慶は何かを投げつけられて、何事か!と自分に当たったその物を見ると、自分の妾の首!慌てて入り口を見ると、武松が凄まじい形相で立って いる。女は腰を抜かし、金持ちの旦那は気を失ってしまった。

事の次第を察したが、入り口に武松が居るので逃げ場は無い。机に飛び乗り、向かってくる武松に、西門慶は手をふるうと見せかけ足を払うと、咄嗟によけ損ね た武松の手を蹴り飛ばす。すると武松の短刀が窓から外の往来へ落ちた。
獲物が無くなったので、「しめた!」と思った西門慶は武松に突進して鳩尾を狙うが、それを武松は軽くいなして殴りつけると、左足を掴んで2階から外の往来 に投げつけた。
そして、潘金連の首を片手に拾い、往来へ飛び降りると、西門慶の元へすっくと立ちつくす。
西門慶は2階から突き落とされたショックで気を失っている。武松はその首を掻き切って首を2つ、戻って兄の仏前に供えた。

「兄さん、早く成仏してくれよ。淫婦と間夫はこの通り仇を討ったよ」
と、兄の霊に報告して、一同の前で丁寧に挨拶をした。
「皆さんには、もう1つ頼み事があるのですが」
と言うと、皆恐ろしいやらなにやら度肝を抜かれているので、何でも聞きますともとの2つ返事。

「私は兄の恨みを晴らすために、人殺しの大罪を犯したので、死罪は覚悟の上です。
 それは甘んじて受けるところです。みなさんは先ほどは驚かれたことでしょう。
 私の身はどうなるかわかりませんから、家の調度やら一切は売り払って、皆さん方で、私のことでお上の御用向きの際の費用に充ててもらえませんか。
 私はこれから役所へ自首しますが、どうかみなさんは私の罪のことなど気にせず、ただ事実を証言してください」


知県はこのことを聞いて、武松を義侠心溢れる豪傑だ、と思い、また東京への使いの恩も思い出して、いろいろと便宜をはかってやった。
武松の裁判は穀陽県の上の東平府へ送られたが、王婆は結局死刑囚に、そして武松は、罪を減ぜられて流罪となった。
武松が陽穀県から送られて行く際には、町の人が武松の義気に感じ入るものが非常に多く、銀子や食料を届ける者が大勢いたという。


流罪になった武松が、後に行者となって、梁山泊に入るのは、また別の段のこと。


◎参考文献
・著施耐庵 訳駒田信二『水滸伝』平凡社 1990
・宮崎市定『水滸伝 虚構のなかの史実』中公文庫 1993
・高島俊男『水滸伝の世界』ちくま文庫 2001
・周藤吉之 中嶋敏『五代と宋の興亡』講談社学術文庫 2004
・高島俊男『水滸伝人物事典』講談社 1999




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